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素晴らしくない世界

「あぁ〜」
 そう頭を掻き毟ると、麻衣はため息をつく。
「生きてるのって嫌だなと思わない?」
 いきなりだ。いきなりなんていうことを言い出すんだ、この人は。
 私は少しびっくりした。こういう話ってこういう誰でも会話を聞き取れるところでする会話なのだろうか。私が無言で、なんて言葉を返そうか迷っていると、ごめん、と麻衣がやっぱり唐突に謝りだした。
「なんか最近、マイナス思考でね、そんなふうに思ってしまうの」
 やっぱりなんて言っていいのかわからなくて私も無言になってしまった。
「生きている意味がわからないや。もう」
 一時期の私みたいだ。西条さんに出会うまでの私。死にたい死にたいって毎日思っていて、西条さんに見られていたように、死にたいって電車を眺めて、だけど死ねなくて嫌なことがあるたびにリストカットをして、どうして生きているんだろうと暗い毎日を繰り返していた。麻衣もそんな毎日過ごしているのだろうか。なんだか悲しくなってしまう。
「裕子ちゃんは?」
「え?」
「死にたいからリストカットしてるんじゃないの?」
「死にたいからリストカットしてるんじゃないです」
 そう言うと麻衣は悲しそうな顔をして、自分の腕をさすった。きっとそこに傷跡があるのだろう。私もそうさすってしまうことがある。
「でもね」
「でも?」
「昔は死にたくて切っていました。麻衣さんは苦しんでいるんですね。麻衣さんは死にたくて腕を切っているのですか?」
 間があく。
「麻衣さんは死にたくてたまらない?」
 声も出さずに頷く。
 なんて苦しい毎日なんだろう。私も当時は苦しくて堪らなかった。生きれない。だけど死ねない。傷を眺めては、自分の苦しさを反映させて。テレビで誰かが亡くなったという報道を見ては羨ましさを募らせて泣いたり、誰かが病気で死んでいくドラマや映画やドキュメンタリーを見ては悔しくなったり、そんな簡単には死ねないんだよって、生きるより難しいんだよって、生き地獄だった。
 私が死のうと思うのをやめたのは、西条さんに出会えたからだった。私の苦しさを受け止めてくれる人がいる。お前が死のうと考えているのは自分だって苦しいんだよって、そう言ってくれることがどれだけ嬉しかったことか。私も、麻衣の、そんな存在になりたいと思った。死にたいと口にしなくて済むようにしてあげたい。間違っても、麻衣の前の恋人のように「死ねばいい」だなんて言ってはいけない。
「麻衣さん、私に出来ることってありますか?」
「じゃぁ一緒に死んでくれる?」
 麻衣は真面目な顔でそう言った。
 どうしたらいい、私は短い間で返答を考える。私は死ねない、死にたくない、麻衣にもそう思って欲しい。
「そう思わせないように私は麻衣さんといたい」
 私だって自分の生きる意味はわからない。死んだっていいやって思うときもある。だけど死ねないよ。いくら死を望んだって死ねない。
「死にたくたって死ねないんです」
 麻衣は何も言わずに私を見つめる。痛い視線だった。どうしてそんなこというの、そう言っているような、痛い視線だった。
「しつれいしま〜す」そう言って店員が入ってきた。「ペペロンチーノのお客様」私が手を上げると、私の前にお皿を置く。続いて麻衣の前にカルボナーラが乗ったお皿を置く。「以上でご注文よろしいですか?」私が頷く。「お帰りの際、伝票をレジまでお持ち下さい。ごゆっくりどうぞ」そう言ってようやく店員はいなくなる。なんて間の悪さ。私はチラリと麻衣を見ると、いただきましょうか、と言った。なんだか気まずい雰囲気だが、これ以上何言ったらいいのかがわからない。
「裕子ちゃんは死ねなかったの?」
 そう言ってフォークを手に取る。私もフォークを手に取る。
「死のうとしました。だけど死ねなかった」
 思い出したくないことばかり。自殺未遂とは言いづらいけど、死のうとしたことがあった。タオルを握り締めて、首に巻く。それを力入れて首を絞める。だんだん意識が遠のいて、私は気を失った。頭は真っ白だった。力を入れながら、冷静に、こんなことしてても死ねないと感じていた。でも死ぬ行為を確かめたかった。擬似死というのを、体験したかった。死のうとすれば生への執着心を感じられると思ったのだ。それは人に話したことがなかった。それは西条さんに声をかけられる数日前のことだった。私が死んでも悲しんでくれる人はいない。そう思って、した行為だった。死にたいのか生きたいのか、私はよくわからなかった。
 そう言うと麻衣はふぅん、と興味もなさそうに返事をした。麻衣は私の言葉に何も感じなかったのか。いや、むしろ呆れているような気がする。そんなこと? そう思っているように感じた。
「まだあるんです」
 そう言って、西条さんの話をした。喫茶店に行って交わしたことは言っていないけれど、毎日死にたいと電車を見ていたこと。西条さんに出会ったこと、西条さんに言われた温かい言葉のこと。
「麻衣さんの西条さんに、私はなりたいんです」
 私がそう言うと、麻衣さんはお皿にフォークをがちゃんと音を鳴らして置くと、立ち上がり、怖い顔をして私を見下ろした。
「裕子ちゃんは結局死にたくなかったんだよ。私とは違う、幸せなんだよ、そんな存在がいるのは。私はちゃんと死ぬよ、タオルなんて甘ったれたものじゃない」
 周りの人が訝しげに私たちを見る。
「そんな…」
「私とあなたは違うわ。そんな簡単に言わないでよね」
 麻衣はそう言うと、そのままレストランを出て行ってしまった。私は何も言えず、椅子に座っていた。修羅場? そう思わず笑ってしまう。悲しかった。なのに笑ってしまう。私が電車を眺めているのも、タオルで首を絞めたのも、全部苦しさから来た自殺行為だった。それを甘ったれてる? そんなことはない。そんなことはないのに。麻衣は私を軽蔑したんだ。西条さんに会いたかった。私だって苦しんでいる。麻衣はそれさえも否定したみたいで、悲しかった。苦しさに大きいも小さいもない。それがその人の精一杯の苦しみなんだ。西条さんは以前そんなことを言っていた。俺だって苦しいことがあるよ。裕子みたいに死にたいとか思うようなものでない。けど確かにそれは俺の中にあるんだよ。俺からみたらどれも苦しいことなんだよ。
 西条さんの言葉はどれも身に染みた。だけど麻衣はそんなこと思っていない。
 麻衣の苦しみは一体何なのだろう。
 私は携帯を握り締めると、西条さん、と心の中で何度も呼んだ。連絡ちょうだい。
 何分たっても携帯は鳴らなかった。
 寂しいなぁ。苦しいなぁ。


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あきゅろす。
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